小石川周辺たてものめぐり「旧東京医学校本館」
2016.04.26

小石川周辺たてものめぐり「旧東京医学校本館」

小石川植物園のかたすみにある古い洋館。当初は東京大学の前身である東京医学校の施設として1876年に本郷キャンパス鉄門の正面に建てられましたが、1911年に赤門わきに移築され、さらに1969年に小石川の現在地に移築されました。国指定重要文化財となり保存修復され、博物館として一般公開されています。

全景。今は池のほとりに建っていますが、もともとは東大の構内にあったものです。
全景。今は池のほとりに建っていますが、もともとは東大の構内にあったものです。

この建物のポイントをひとことで言うと「明治初期らしい擬洋風建築」と表現できます。

「擬洋風建築(ぎようふうけんちく)」を知るために明治初期の東京に思いを馳せてみましょう。当時の東京では、欧米諸国に日本を文明国と認めさせるために西洋風の建物を建てる必要がありましたが、建て方が分かりません。そこで外国人を大学に招いて日本人建築家を養成するなどしますが、一方で大工たちは横浜の外国人居留地にある洋館を見学して、まさに”見よう見まね”で洋館っぽいものを建て始めます。これを擬洋風建築といい、バルコニーに唐破風が付いたり、階段が急だったり、ミスマッチな装飾があったりと、今から見ると妙なアレンジがされています。ですが、江戸時代の抑圧から解き放たれた民衆のエネルギーや、文明開化への好奇心がたっぷり詰まったデザインには勢いがあり、独特な魅力があります。

擬洋風建築の例:白雲館 (滋賀県近江八幡市)
擬洋風建築の例:白雲館 (滋賀県近江八幡市)

明治後半になると正規の教育を受けた日本人建築家が育ってきて西洋そのままの様式建築が建設可能になったため、擬洋風建築は明治前半の短い期間に限られ、しかも東京は震災・戦災で大半の建物を失ったため、擬洋風建築はこの旧東京医学校本館のほかには慶応義塾三田演説館くらいしか残っていません。それだけ貴重な建物なのです。

本作の場合は官庁(工部省)が設計に関与しており大工の自由な創作とは少し違うのと、移築を繰り返したためにオリジナルから変化しているというのはありますが、それでも各所に擬洋風建築の特徴が見られます。
まずは外観から。全体的にはシンプルな形ですが、正面玄関まわりは凝っています。ポーチは台形で、その上のバルコニーには擬宝珠(ぎぼし)高欄。丸柱も和風を連想させ、各所の装飾は和風と中国風が混在します。頂部に塔を載せるのも擬洋風によくあるスタイルです。一方、窓が縦長で上げ下げ式(上下にスライドする)なのは和風建築にはない洋館の作法です。

バルコニーあたりの造形
バルコニーあたりの造形

室内は博物館に改装されていますが、二階に上がると屋根裏の構造を見ることができます。洋館ならば洋風小屋組(トラス)が基本ですが、本作は和風小屋組で、結果的に柱が多くなっています。当時の設計者はトラスをちゃんと理解できず、従来の和小屋を採用したのかもしれません。

屋根裏の小屋組
屋根裏の小屋組

本作は明治初期の建物であるのに対し、同じ植物園内にある「小石川植物園本館」は昭和戦前期の最後ごろの建物。東京で時代の節目の最初と最後に建ったものが同じ園内にあるというのは、不思議な縁を感じます。植物園に行くときは、植物だけでなく建物にも注目してみると、また違った見方ができそうです。

内部は博物館に改装されています。
内部は博物館に改装されています。

[たてもの INFO]

  • 名称: 東京大学総合研究博物館小石川分館(旧東京医学校本館)
  • 所在: 東京都文京区白山3丁目7番1号
  • 竣工: 1876年(明治9年)、1969年 現在地に再建
  • 設計: 工部省営繕局
  • 内部見学: 木~日曜の10~16時、入館無料
  • 国指定重要文化財
  • 東京大学総合研究博物館小石川分館サイト