小石川の新名物!「おたよさんの大福」ができるまで
小石川が発祥の地とされている大福。江戸時代の大福を復刻して、街おこしに一役買おうとしている和菓子屋さんがいる。小石川マルシェにも出店している「千代田」の新井さんだ。
おたよさんが発明した大福
大福は、江戸時代に小石川御箪笥町(おたんすまち)のおたよさんが1771年に腹太餅(はらぶともち)を改良して発明したお菓子とされる。腹太餅は、餡を餅で包むところは大福と同じだが、お菓子ではなく食事で、餡は小豆に塩で味付けされていた。おたよさんは、これを小型化して食べやすくし、餡に砂糖を混ぜて甘いお菓子に変え「大腹餅(後に大福餅)」として売り出した。これが江戸で評判となり、各地に広まっていったという。今では豆大福やイチゴ大福など様々なバリエーションがあるのはご存じのとおり。
研究熱心なお客さん
-大福が小石川生まれだっていうのは、前から知ってはいたんですよ。でも自分で深く調べたことはなかったですね。
そう言う新井さんは意外な経緯を教えてくれた。開発のきっかけは研究熱心なお客さんだったという。
-うちの店で腹太餅を売り始めたのですが、あるお客さんが興味を持たれまして、江戸時代の大福について自分で調べると言われたんです。
そのお客さんがすごかった。あらゆる文献を調べて、大福の謎を解き明かしていく。先ほど書いたおたよさんのストーリーも江戸時代の史料「宝暦現来集」から発見。複写が東大の図書館にあったという。御箪笥町とは現在の文京区小日向4丁目付近と判明。さらに、当時出回っていた砂糖は黒糖であった可能性が高く、しかもサトウキビの栽培実験は徳川吉宗の時代に小石川植物園で行われていたということも分かった。大福ゆかりの地はどれも文京区内にあったのだ。
大福の復刻に挑む
黒糖という大きなヒントをお客さんから得た新井さんは、江戸時代の大福の復刻に取り組む。大福づくりそのものは簡単で、餅をついて取り分け、餡を包むだけ。だが塩と黒糖の量が分からない(現在の大福は白糖を使う)。配合を少しずつ変えながら試食を重ね、ほのかに黒糖の風味がする今の味に落ち着いた。もちろん添加物は一切使っていない。
こうして完成したのが「おたよさんの大福」。無添加で賞味期限が短いこともあり、まずは小石川マルシェで試験販売をして反応を確かめていった。現在は店頭で土日限定で販売していて、噂を聞きつけて遠方から来店する大福ファンもいるという。
-手間がかかるし保存がきかないので少ししか作れませんが、小石川の名物になればと思って作っています。次は何をやろうか、いつも考えてますよ。
[豆知識]
江戸時代は、熱々の鉄板に大福を載せて焼いた状態で売り歩いていたのだとか。焼いて風味の変化を楽しむのがツウの食べ方のようだ。
[SHOP INFO]
- name: 御菓子司千代田
- address: 東京都文京区小石川2-25-12
- tel: 03-3811-6140
- web: http://chiyodawagashi.com/